山水電気の破産から思うこと。

サンスイがついに破産をしたとのニュースを目にしました。実際には2社目のスポンサー企業であった香港のグランデ・ホールディングスが破綻したことで、破産は確定的ではありましたが、実際の破産手続に入ったとのことです。

「山水電気が破産した理由とは?「オーディオ御三家」の没落」
(ハフィントンポスト記事)

サンスイの話はよく講義の中でします。アキュフェーズとの対比で。片方は潰れ、もう片方は全く大きくならずに、しかし今も元気に活動し、世界のオーディオマニアから尊敬され続けています。
昨日、御茶ノ水のオーディオユニオンで、20年前に製造されたサンスイの往年の名機607が中古で売られているのを見つけました。
企業が大きくなるということは時に、こういうことにもなりえるのだなということ感じるとともに、あの頃の607に憧れを抱いていた気持ちをふと憶いだしました。

企業にとって、事業とは理念を実現するための手段のひとつであって、それは目的ではないのではないかと思います。逆に言えば、理念なき企業は事業に縛られてしまい、結果的に事業のライフサイクルの衰退とともに企業も衰退していく危険性があると思うのです。
どうやって(書かれた文字としての)理念ではなく、理念のもつ精神に忠実であれるか、ここが問われているのだと思います。大事なのは言葉を覚えることではなく、物語りを生きることではないでしょうか。
これは単に教えこむことでは継承できないと思います。日々の仕事の中での語り継ぎを通じて、言葉の持つ物語りを体得することによってしか成し得ないことでしょう。

「私は日本において、もう一度哲学について、人生観について、考える時代が来なくては駄目だと思う。」大原總一郎

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