私たちは埼玉大学経済学部宇田川ゼミナールである(2018年度卒業生に向けた卒業論集巻頭言)

 卒業おめでとう。
 今、自分のゼミ生をこうして大学の外の世界へと送り出すにあたり、思うことを述べ、新しい旅立ちを迎える皆さんの人生を祝福したいと思います。

 まず何よりも、埼玉大学に赴任して間も無くで、よく事情もまだわからない中で、ともにゼミを創ってきてくれたことに心から感謝しています。ありがとう。皆さんへの感謝は決して忘れません。

 僕は東京で生まれ育ち、2007年4月に29歳で長崎大学経済学部に講師として赴任しました。長崎大学で3年、その後、2010年4月から2016年3月までは西南学院大学商学部で准教授として6年過ごし、9年の九州での生活を経て、埼玉大学に移ることになり、関東に戻りました。
 9年間を通じて感じたことを振り返ると、池袋の近くで生まれ育った自分にとって、長崎の環境はあまりにも違い、本当に戸惑う日々からのスタートだったなあと思います。そして、その中で芽生えた問いは、「自分とは何者なのだろうか」というものでした。今まで当たり前だと思っていた消費生活、移動の手段、食べ物の味、小さいことも大きいことも含め、何もかもが違う中で、初めて、自分とはどういう「当たり前」の中で生きてきたのかを感じ、またその違いに最初苦しみました。また、関東に戻ってきてからの日々もまた、あらゆるものが激変する時間でした。
 しかし、そこで気がついたことは大きく2つあります。そのことをお話したいと思います。

 ひとつは、受け入れること、対話することの大切さです。
 元の自分の生活と違うことに腹を立てている限りは、何もかも不満でした。わかり易い例を挙げるならば、長崎は醤油の味がとても甘いです。関東には存在しない刺身醤油なる醤油が存在し、魚にはこれを必ず使います。なんだこんなもの、と最初腹が立ちました。味噌も麦味噌で、塩角が立っていない味は、なんだか味がしないなとイライラしました。信号が変わっても車はすぐに動き出さないし、路面電車やバスにのる時に皆並ばないことも、マナーが悪いと思いました。
 しかし、よくよく知ってみると、確かに長崎の新鮮な魚には、甘口の醤油のほうが味が引き立つのです。それに、麦味噌には関東で使っていたようなかつおだしではなく、長崎で獲れたいりこだしを使えば味わいが出るし、信号が変わってもそんなに混んでいないから急いで走り出す必要はない、バスや電車はみんな譲り合って乗っていくから並ばなくても大丈夫だということがわかったのです。
 つまり、「私」なるものを変えずに相手を評価しているとき、この時には私は大変不愉快な思いをします。しかし、相手にも一理あるのだということを受け入れるように私が変わったとき、その時に、大いなるつながりを感じることができる、そういうことを学びました。
 人生においては、様々な壁や困難に直面します。私もそうした苦労を経験したことがありました。しかし、そうした苦労がない人生であったならば、私はもっとつまらない人生を送っていただろうと思います。痛みを知らなければ、他者の痛みを知ることもできないのだと今になって思います。なぜならば、痛みを通じて、自分を助ける術を私たちは学び、それを通じて、他者を助ける方法を学ぶからです。長崎での経験は、そのひとつだったのかもしれませんが、自分を助けるためには、身に起きる様々な困難に意味を見出す知性を持つことこそ重要であると私は思います。
 同時に、私たちは、他者を助ける存在であり、他者がそうした困難にある時に、いかに、他者を助けることを通じて、自分を助ける方法を学ぶかということも忘れてはなりません。日々、様々な痛みや苦悩に直面する他者を私たちはどうやって助けることができるでしょうか。そして、それこそが私たちが私たち自身を助ける術を学ぶ、大きな機会が与えられているのだということも覚えておいてください。
 この自らを助け他者を助ける存在へ、そして、他者を助け自らを助ける存在へと変わっていく過程を私たちは「対話」と呼びます。私は長崎でだけではありませんが、人生の様々な場面で、対話を通じて、多くのことを学ぶことができました。無論、足りないことだらけで、多くの迷惑をゼミ生の皆さんにかけてきましたが、私も皆さんも常に人生の対話の途上で学び続ける存在として、困難の中にあって人生を謳歌していきましょう。

 もうひとつお伝えしたいこと、それは、私は何者であるのかを知ることは、学ぶことを大いに助けることだということです。
 私は埼玉大学に移ってから、ウェブメディアに取り上げられ、それをきっかけに、ビジネスの世界で、一部の人達の間ではある程度名前が知られるようになってしまいました。決してこれは私が想定していたことではなく、自分は地味な研究をしている人間だと思っていたので、自分がだんだん有名になっていくことに、大変に戸惑い、また、そのプレッシャーで苦しむ日々でした。
 その中で何よりも学んだことは、「私は一体何者なのか」ということを考えることこそ大事だということです。私は一体、何を願って、何を追い求めて、何を表現したくて、日々頑張っているのか、そのことを折に触れて自分に問い直すことが大切だと思ったのです。
 なぜそうなのでしょうか。
 私も皆さんも、日々大量の情報にさらされています。その情報量によって、私たちは時に右往左往し、動揺し、何をしたらいいのかわからなくなります。なぜそうなるのかと言えば、それを意味あるものとして解釈することができなくなるからです。しかし、そうなってしまうと、私たちは何も学ぶことができないと言っても良いでしょう。私にとって様々な情報が意味のあるものとなるためには、私が何者なのかを知らなければならないのです。私が何者であるのかが定まれば、様々なものを「これがこう新しいのだ」という自分なりの座標軸の中に、新しいものを位置づけることができます。
 ではその座標軸とは何によって得られるのでしょうか。
 私は、ナラティヴ(語り)を基盤とした哲学に基づいて研究をしていますが、その中で重要な研究者に、ジェローム・ブルーナーという人がいます。彼は、私たちは文化の産物であり、それは語ることを通じて成し遂げられていることを指摘しています。つまり、私たちがその座標を得るのは、文化と語りを通じてである、と述べているわけです。同時に、そうした文化を伝える語りは、私たちが直面する様々な痛みを緩和する役割があるとも述べます。つまり、我が身に起きたことを意味あるものへと変える力は、私たちが生きている文化の中に存在し、それを語ることを通じて、私たちは様々な困難を乗り越える力を持つということができるのではないでしょうか。
 従って、私たちにとっての座標軸とは、私たちが身にまとってきた知性、身にまとってきた考え方、身にまとってきた習慣、そうしたものによって得られるのだと言えます。そして、それを語り直し続けることを通じて、より優れた座標軸を得ていくことが私たちには可能なのです。


 これから卒業していく皆さんは、今までに経験したことのない困難に直面することもあるでしょう。もちろん、幸せなこともたくさんあるでしょう。しかし、とりわけ困難にあって、私たちは埼玉大学経済学部宇田川ゼミナールの一員であるということを思い出してください。私たちにとって、困難を乗り越える力は、私たち築いてきた関係性、文化、そこから見出された私たちが何者であるのかを通じて得られるからです。
 従って、その力はすでに私たちは大学生活を通じて持っているということも意味します。
 卒業論文の作成を通じて、私は何者なのか、をきっと皆さんは自分に問うたことでしょう。ぜひそのことを忘れないでください。それこそ、私たちが学び続ける準備を私たちが大学を通じて得られたことを意味するからです。

 皆さんの人生が素晴らしいものになることを心から願っています。


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