斎藤清二『関係性の医療学』遠見書房を読みました。

大変な本が出たものだ。富山大学保健管理センター教授の斎藤清二先生の『関係性の医療学』だ。
この本は、ナラティヴに基づいた医療(narrative based medicine:NBM)についてのこれまでの斎藤先生の論考をまとめられた一冊だ。とりわけ前半の理論編について、ナラティヴ・アプローチの研究についてこれほどまでに切れ味鋭くまとめられた本はあっただろうか。ここ数年の中で圧倒的な衝撃を受けた一冊である。
なぜ医療は物語りと向き合わなければならないのか。そして向き合うことによって、医療は何を得て、どのように変わっていくのか、この点がこの本のコアになる問題意識であり、論点であろう。その全てを書き留めることはできないが、これは医療の領域におけるエポックメイキングな一冊であるだけでなく、科学というものが一体どうあるべきなのかを考える上で重要な手引になる一冊だと感じた。

医療の領域では、それまでの権威主義的な医療に対する批判から、EBM(根拠に基づいた医療evidence based medicine)が推進されてきた。つまり、医療の科学化の流れがずっと続いてきたし、今も続いている。そこで展開される哲学上の立場は、論理実証主義である。
しかし、1990年代からイギリスやアメリカでNBMが現れてきた。これは、EBMが医療者が患者の疾患を捉えるためのナラティヴであり、その結果、患者の人生に起きた病いという出来事についての意味付けが奪われてしまっているのではないか、という批判からであった。そこで、患者のナラティヴに基いた医療を行うことが主張された。主唱者はイギリスではトリシャ・グリーンハル、アメリカではリタ・シャロンなどである。

なぜNBMなのだろうか。医療には素人のため適切な説明ではないかもしれないが、こんなことを考えてみた。
自分は疲れやストレスでよく胃がムカムカするのだが、その問題があってもし医者に行ったならば「それは胃炎ですね。この薬を飲んでおいてください」と言われるのが普通だろう。勿論、医師によっては原因を探ってくれるだろうし、アドバイスもくれるかもしれない。だが、それらは診断を下すためであることが多い。
しかし、この程度のことでも、自分にって胃が痛いことはどういう意味があるのかは一考の余地がある。なぜなら、胃が痛いと言っても、曰く言いがたい感覚というのはあるし、大体そういう時には、ストレスとか疲れとか様々な悩みがあったりもする。もしかしたら、自分が気がついていない胃に良くない習慣もあるかもしれない。そういったものの中で自分の胃の問題は起きているのであって、だとすると、胃炎は自分の生活世界の中に埋め込まれた存在なのだ。無論、胃炎くらいのことならば痛みが引けば忘れるかもしれないが、だが、こんな小さなことですらも、深めていけば自分の人生とつながってくるのかもしれない。
だが、胃炎という概念の中にその辛さや難しさが集約できるのかというと、そこにはズレがあるのは間違いない。つまり、医療というフィールドにおいては、胃炎という概念の中に(ラトゥール的に言えば)自分の病いの経験が翻訳されてしまい、それ以外の経験の塊は言葉を失ってしまうことが多い。その言葉を閉ざす再帰的な効果をEBMがもたらしていると見ることも出来るかもしれない。
いわんや、もっと重篤な疾患の場合、或いは、慢性病や生死に係るような疾患の場合などは、もっと明確に、疾患と治療の因果関係が科学的に証明された知識の中に病いの経験を集約することができないことは明確になる。この翻訳とズレの間に対してどのように向き合うべきなのか、これがNBMのテーマなのかもしれない。そして、ここに医療に対するもっと大きな可能性があることも意味しているのであろう。

斎藤氏は単に患者からの不満の増大に対応するための道具としてNBMがあるわけではないことを強調する。そうではなく、もっと根本的な問題提起をしていることは見逃せない。それは、論理実証主義が唯一の方法となってしまうことで、確率論的な世界でしか医療がものを語れなくなれば、それが我々の人生の意味を狭めてしまう問題があることを指摘しているのである。それ故に、単に補完関係としてEBMとNBMがあるのではなく、EBMもひとつのナラティヴなのであって、ナラティヴは医療の基盤なのだということを指摘している。
では医療者はどのように患者のナラティヴに向き合うべきか、という問題が残される。この中で大変興味深いのは、藤田氏のNBM批判に応答する形で、NBMの意義を明確化しているところ(1章)である。(同書後半は実践についての研究が数多く紹介されている点も見逃せない。)
NBMは患者のナラティヴを聴くことを基盤とするが、それは迎合を意味しているわけではない。大事なことは患者のナラティヴと同時に、医療者のナラティヴもあり、その両者が統合されることである。その実践がNBMなのである。
また、同時にNBMであればEBMが持っている「言葉を閉ざす」問題を持ち得ないのかというわけでもない。大事な点は、どのような立場であってもナラティヴであるということだ。
そして、絶対的に正しい立場があるのではなく、それぞれ患者にせよ医療者にせよ家族にせよ、我々は自分が偶然に置かれた立場から語る存在であり、逆に言えばそうでしかありえない存在でもある(そういう意味では相対主義的ではない点は注意すべき点だ)。だからこそ、自分の立場の暫定性を認め、その上でこそ成しうる技を行うべきではないか。そうした暫定性を奪うのが科学の言説であるならば、我々は一度それを相対化し、然る後に、自らの立場から語ることが求められているのではないか。
従って「つかず離れずの態度」(16章)というのは言い得て妙であり、研究者も実践者も現実につきすぎても、離れすぎてもいけないのだ。

と、このように書いてきて思うことは、これは単に医療の話ではないということだ。これは、まさに、正義とは何なのか、どう生きるべきかを正面から論じるための本であり、それをどう医療の領域で展開するか、ということについての本なのだ。
そういう意味で、皆さんにお勧めの一冊です。

(医療について素人ゆえに変なことを書いていたらその点はご容赦ください。)

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