物語の戦い:Brexitに関する、とても雑な感想

イギリスのEU離脱のニュースが、全世界を揺るがしている。
全くもって政治に関してはズブの素人なので、以下は根拠を著しく欠いているはずだが、ぼんやりと考えたことを少々。

Brexitについて、テレビ番組を見たり、ラジオ番組を2つほど(J-WAVEのJAM THE WORLDとTBSの荻上チキSession22)を聴いて、なんでこうなったのかを勉強してみた。
概ね分析としては、経済的な利益を説いた残留派と、感情に訴えた離脱派の戦いで、離脱派がポピュリズム的な勝利を収めた、という内容のようだ。

私はこれを聴いていて、やや気になったのは、残留派は論理(理性的)、離脱派は感情(反知性的)という分け方で論じられている点である。
しかし、哲学者のスティーヴン・トゥールミンが述べるように、論理logicは理性reasonの上に成り立っている。或いは、アラスデア・マッキンタイアが語るように、共同体の物語narrativeの上にこそ正しさは存在する。つまり、どちらも何らかの理にかなった(reasonable)物語の上に彼らの主張があると考えると、どちらも物語的だと言えよう。

そして、物語という視点から両者の違いを見てみると、残留派は「今までのやり方の方が良い」と語り、離脱派は「そういう残留派の物語で、我々は幸せになったか?なっていないじゃないか」と語っていたのではないだろうか。
そのように考えると、残留派の物語は、今の社会に対する反感を感じる人々に響かなかったと理解することができるかもしれない。事実、リーマン・ショック以降の緊縮財政や、移民問題、さらにはパナマ文書に見られるような資本主義の歪み、こうしたことを背景に、今までの世の中を支えていた物語が揺らいでいたのかもしれない。
そう考えると、離脱派が反知性的だとバカにしたり、嘆いたりする、その言葉や態度を生み出すその物語こそ、もしかすると、離脱派が勝利する要因だったと見ることもできるかもしれないと思うのである。

アメリカではトランプ旋風が吹き荒れているが、これも下手をすると、今までの社会に不満を感じる人々にとっては、「今までのやり方で幸せになれなかった。もうだまされないぞ!」という物語として受け入れられているのかもしれない。だとすると、ヒラリーが何を語ろうと、すべて白々しく彼らには響くのであろう。
ところで、じゃあ日本の政治はどうなんだろうか。なんだかそんなことを考えていたら、人類学者の山口昌男さんの言葉をふと思い出した。

「「すぐれた人類学」とは、己れの価値で他者を量るのではなく、他者を媒介として己れを量りなおすところにあるはずです。」

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