オープンにダイアローグすることについて。

この動画は、フィンランドにおける「オープン・ダイアログ」の実践に関するものです。是非ご覧になってみてください。



  


ポイントはオープンであること、そして、対話をすること。これが何よりも根本的に重要なんだと思います。 オープンであることとは、まずは何かが決まっている・そんなことはわかりきっている・自明であると考えることを一度保留することであると思います。
そして、目の前で起きている現象に対してオープンになる・興味をもつ、つまり、目の前の現象の多元性を認めて、そのことの中に意味を発見することに取り組もうとすること、意味を発見することなんでできやしないと思うことを一度保留してみること、ではないかと思います。

オープンになるとは、要するに対話をするということでもあるのだと思います。対話をするとは、目の前の現象を問いかけであると受け止め、それに応答を試みることではないかと思うわけです。つまり、色々な関係のない・他愛のない出来事、現象、そんなものと自分とのつながりを見つけていくことであろうと思います。なぜならば、それらは自分に問いかけているからだと思うのです。その声に耳を澄まして、その声に応えようとする、それが対話することなのだと思います。

かつてアメリカの哲学者リチャード・ローティは、どこかに世界を見事に捉えきることができる正しい知識があるという考えは幻想であって、知識というのは我々の想像力をかきたて、今まで関係がないと思っていたものとの関係(彼はこれを連帯solidarityと表現しました)を構築していくための道具であって、我々の知性はそうした連帯のためにこそ向けられる必要があると述べました。正しい知識を見定めるためのみではなく、世界の可能性に対してこそ我々の知性は開かれている。そう思います。

また、組織開発研究者のピーター・センゲは、メタノイアという用語を使ってこのオープンネスを表現しました。メタノイアとは、視点を改めること、キリスト教の言葉では悔い改めと表現されます。つまり、広い世界に対する自分の視点の有限性を認めて、世界に可能性を見出そうとする態度のことです。オープンということはそういうことじゃないかなと思います。

経営学ならば、組織変革はもちろん、イノベーションだってそうだし、リーダーシップだって、戦略だって、どんどんオープンになってきています。そんなことをなんかしら書いていこうかなと思っている今日この頃です。

Comments