マツダ、北米での販売奨励金削減へ(価格設定とブランド価値)

マツダが米国内での新型車について、販売奨励金をゼロにすることを発表したという記事が、8月16日の日経新聞朝刊に掲載された(「米の新型車販売 マツダ、報奨金ゼロに」 ただし、紙面よりも若干情報が少ない)。
販売奨励金とは、車だけでなく携帯電話の販売などにも用いられているが、販売店に対し販売を行った数だけ一定の金額を支払うというシステムのことで、販売店はこれを原資として販売価格を引き下げて顧客に提示することが可能になる。
同記事に寄れば、価格競争力をつけるため、マツダはこれまで平均2,000ドルの販売奨励金を支払ってきた。一方、米国内でシェアを伸ばしているトヨタやホンダは900ドルの奨励金に止まっている。しかし、シェアをトヨタやホンダに奪われているビッグスリーは平均3,400ドルもの奨励金を支払っているとのことだ。これは何を意味しているのだろうか?

同記事に寄れば、「奨励金による大幅な値引きは中古車価格を下げ、結果として新車の値下げ圧力にもなる」とのことだ。ちょっとわかりにくい一文だが、もう少しわかりやすく言うと、新車を購入する顧客が、中古車として高く売れる見込みが無いと考えるため、現在の販売価格をさらに引き下げるように要求するようになる、ということである。
それでも多額の奨励金を支払うことをやめられないのは、提供する商品に競争力がないためである。確かに、各社は魅力的な自動車の開発に注力しなければならない。だが、なぜそうなのかという点を考えるならば、今のロジックの逆のことも考える必要がある。つまり、価格を安くするから競争力がない、という点である。ここがブランドと収益との関係を考えるべきポイントである。

かつてカルロス・ゴーンは日産自動車はブランドが弱いことで、7億5千万ドルを失った、と述べ(日経新聞記事より)、値下げではなく値上げという方法でブランド価値を高めることに取り組んだ。ブランドそれ自体は無形であるが、商品やサービスといったものは顧客にとって、ブランドという文脈の中で理解されている。ここでは詳しくブランドがなんたるかという点について述べはしないが、つまりは、商品やサービスをどのような文脈の中で理解させるのか、そこを考えなければ商品・サービスの競争力を得ることはできないということである。であるならば、自社の商品・サービスをいかに価値があるものとして理解して貰うのか、もっと簡単に言えば、価値を作り出すものこそがブランドなのである。
マツダの今回の取り組みは、ブランドをどのように構築するかという点について1つのヒントを提示している。すなわち、安易な値下げで販売拡大をねらうのではなく、むしろ、価格を保つことにより、自動車の価値を作り出そうという取り組みなのである。

このような取り組みは随所に見ることが出来る。例えば、私の友人がインターネット上で惣菜を販売するサイトの構築に携わっているが、そこでの販売価格は決して安くない。恐らく安さを追求すればもっと安く作ることも出来るだろう。しかしながら、敢えて安くない価格で販売し、またその価格に相応しい商品規格(無添加、素材厳選等)を行うことにより、顧客からの大きな信用獲得を可能にしている。
或いは、ルイ・ヴィトンやプラダのバッグが1万円で売られていたら誰が買うだろうか?
つまり、価格は顧客からすれば、原価に利益を上乗せしたものなどではなく、商品の価値を表す記号なのだ。
勿論、ヴィトンやプラダのバッグが、ユニクロで売られているものと同じ品質であったら売れないかも知れない。だが、両者には品質に差があっても、その差が 何を意味するのかということを考えると、価値は価格差によって生み出されているという側面もまた存在する。高いから価値があるのである。しかし、その差が妥当なものだと顧客に理解されるためには、商品・サービス、プロモーション、その他あらゆる企業活動をブランド価値に沿ったものとしていくことが必要である。

近年業績回復の著しいマツダは、全ての車種にスポーツの要素を持たせ、独自のポジショニングを獲得しつつある。この戦略と併せてみると、今回の記事は、価格を保つことにより逆に商品価値を顧客に認知させようというブランド戦略であることが分かる。価格が高く保たれれば、むやみに販売量を増やさずとも利益を確保することが出来る(特に変動費産業の場合効果は大きい)し、逆に安物ではない新たなブランド構築に成功すれば、顧客ロイヤルティの向上や、将来的な販売増へと結びつく可能性がある。まさにブランドは収益(ゴーン)なのである。
技術志向のとても強いイメージのあったマツダだが、そういった企業がブランド戦略に踏みだしている点は大変に興味深い。今後、マツダはグローバルブランドとしてどれだけ価値を高められるか見守っていきたい。

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